アメリカ軍の黒歴史

戦争に勝ったので完全無欠と思われがちなアメリカ軍ですが、色々と失敗しています。
そんな事例を集めてみました。


欠陥魚雷
緒戦の頃のアメリカ軍の魚雷が欠陥だったというのは有名な話なので知ってる人は多いかと思います。
特異な例ですが、第三図南丸は潜水艦から12本魚雷を食らったが2本しか爆発せず沈没を免れました。
他にも魚雷の不発で多くの船が命拾いしています。
このおかげで、最初の頃は商船の損害も予測した程度で済んでいたのですが、その後ソロモン海戦で陸上に乗り上げた
日本の魚雷を捕獲して研究したりアインシュタインに協力を仰いでもらったりして徐々に改善されていきました。


自分で撃った魚雷で自爆
信じられないような話ですが、確かに魚雷の調整を誤れば円を描くようにして撃った魚雷が戻ってきてもおかしくはありません。
しかしながら1隻ならまだしもアメリカ海軍は2隻も自分で撃った魚雷で潜水艦を沈めています。
潜水艦名は「タリビー」 と「タング」の2隻です。詳しくはネットで検索するか、木俣滋郎著「敵潜水艦攻撃」に詳しいです。


リバティー船
リバティー船とはアメリカが第二次世界大戦中に量産した戦時標準船のことです。全溶接のブロック建造で大量に生産されました。
1939〜1945年の6年間で2,708隻が建造され、1946年4月1日までに、リバティー船の脆性破壊の損傷と事故が1,031件も報告された。
そのうち200隻以上が沈むか、または使用不能という重大な損害を受けた。
中には、係留中に突如大音響とともに真二つに折損したり、航行中に真二つに折損したりといくら戦時標準船とはいえ酷い事故を起こしています。
原因は鋼材の溶接継手の破壊靱性の不足による脆性き裂の発生と進展であるとのことで、まだ溶接が本格的に取り入れられて間もない時期
なので仕方ない部分もあるとはいえお粗末な気がします。


台風による艦隊の大被害
太平洋戦争中、ハルゼー大将指揮の米海軍第3艦隊は2度にわたり台風による大被害を受けた。
最初は、1944年(昭和19年)12月18日朝、フィリピン東方海面で第3艦隊の第38任務部隊(高速空母機動部隊)が強力な台風に遭遇し、
駆逐艦3隻が転覆して沈み、ほかに18隻が大破、9隻が損傷を受け、艦上機183機と将兵800名が失われた。
駆逐艦3隻の転覆は、台風と空の燃料タンクという悪条件が重なった結果である。
2度目は、1945年(昭和20年)6月4、5日、沖縄・九州水域に強力な台風が来襲し、作戦中の第38・1、第38・4両任務群はその猛威に
さらされる破目になり、特に第38・1任務群はその位置と針路の関係から甚大な被害を受けた。
この台風により第3艦隊は、戦艦4隻、航空母艦2隻、軽航空母艦2隻、護衛航空母艦4隻、重巡洋艦3隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦以下17隻の
合計36隻の艦艇が相当な被害を被り、艦上機142機が破壊される打撃を受けた。
日本海軍は第四艦隊事件の教訓などで改善を施していたので戦時中台風による被害はありませんでした。







参考資料

失敗百選 リバティー船の脆性破壊 (1943年) 第四艦隊事件 (1935年)
http://www.sozogaku.com/fkd/index.html



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